愛すれど側にいられない運命を 何故与えられるのでしょうか
今晩藤沢周平氏の、「蝉しぐれ」という小説の映画を観ました。
以前観たことがありましたが、今回もまた「哀しくて美しい物語」だと思いました。
愛する人がいても複雑な運命の流れによって、縁を切られてしまうという事は、この世には沢山あるでしょう。
それでもこういった場合、「縁を切られる」ということはあてはまらないと思います。
何故なら幸せであろうと不幸であろうと、心が繋がっているなら「縁」は消えないからです。
愛し合っている恋人同士であって、それでも様々な要因でそばにいる事が出来ない場合、それが「縁が切れた」と言い切れないのは、やはりその二人の間に横たわる「カルマ」のために耐えなくてならない、「人間としての修行」をしている状態であることが考えられます。
天の采配する修行は、時折酷く残酷であることも多く、死にたくなるほど辛いことも生じるのでしょうか。
近頃片方の目の視力が著しく悪くなりまして、文字を打つのに時間がかかります。
この続きは明日以降とさせていただきます。
大変申し訳ございませんでした。
画像は近頃突然現れる「黒猫さん」です。
昔から「黒猫を抱いて治療を受けると病が早く治る」と言われるようですので、この子を抱いて病院に行こうかな。
その前にもの凄い引っかき傷や噛み傷を、覚悟しなくてはなりませんね。
怖っ!!!
今日のフィーリングは、Official髭男dism(オフィシャルヒゲダンディズム)の「TATTOO(タトゥー)」、米津玄師氏の「アイネクライネ」かな