〒039-1109 青森県八戸市豊崎町中谷地43-2
0178-27-6862
営業時間10:00~17:00
定休日月曜日・火曜日
瑞光天とは- about -
瑞光天とは

旅立つことは 次の世界へ向かう大切なステップです


 この世で生きているもの全てに、やがて訪れる「旅立ち」は、この世に残される者たちに与える力も大きいものです。
例えば重い病気で、死という言葉が常に身近にあった人であるならば、それは特別なもので無いかも知れませんが、多くの方々には、健康で自分の努力を積み重ねて行ける、勢いのある毎日から、死というものが身近にあるとは考えにくいと思いますが、それは生まれたときから私達「生き物」に、影のように寄り添う現実でもあります。
いろいろな書物で「この世は仮の宿り」と言われるのも、私達の存在自体が、やがて皆いつか消えていくことからも、分かるような気がします。
 それでは「仮の宿りの人生」としても、何故人はそんな人生を生きなければならないのでしょう。
生まれてから人は、他の人々や環境などに依って、この世のあらゆることを学んで行きます。
子供の頃は親や兄弟姉妹などから、人との接し方やこの世での守るべき約束事、また自分自身の夢や希望をその中でどのようにして成就させられるか等、けしていつの日もスムーズに事が運ぶというわけでない毎日の中から、事象の選択と選外を心のなかで振り分けながら行動しています。
そして自分の決めたことの結果を良しにつけ悪しにつけ、思い知らされるわけです。
 人がその家に生まれるのは、「こ゚縁」であることと思いますが、その家の中でも様々な人間関係の良し悪しを乗り越えながら、時を過ごしているはずです。
どんな場所をどのように通って来たとしても、人間として成長していく過程で、知識としても心根を形成することにおいても、それは必要だと思えます。
どうすることもできないような、時間の一方的な流れの中で、どんな立場の人であっても戸惑いや後悔や憤りの感情に押しつぶされながらも、生き続けて行き、その流れの中で何度も消えてしまいたいと思ったりもするでしょうが、何とか誰かや何かに助けられたりしながら、最後はこの世に別れを告げるわけです。
別れを告げる方々が、皆納得して旅立つとは言い切れませんが、全ての人がこの世での名前や立場を脱ぎ捨てて、次の世界へ行く準備をすると思われます。
 私は仏教徒として、今まで書物を読んだり修行のようなことも行って参りましたが、何の制約もない一個の人間としても、生まれ変わり死に変わるという考え方は、とても理知的で納得しやすいものであり、また人としてこの世を生きていくための、守るべき心の規律のようなものを、教えてくれるように感じてきました。
そしてこの世は辛いことがとても多く、また全ての人に同じような辛さが与えられるのではなく、その辛さの環境や種類や時期が人それぞれ違っています。
「ある人にはそれが与えられ、何故自分には無いのか、ある人が酷いめにあっているのに、何故他の人はそれを免れているのか」という「理解しづらいこの世」が私達の前にあるわけです。
しかしそれを理解していけるとすれば、そこから「新たな出発を志す希望」にも、感じ取っていける可能性は満ちています。
そのようなことを考え方の根底としても、生き物の世界に「十界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏という十の魂の段階に分けられた世界)」というものがあって、この世で徳を積んだ方々には、それに「見合った世界」があり、徳を積まない生き方には、やがて「そこから生じた不備を刈り取らなくてはならない結果」が、待っているといった考え方からも、この辛い人生をまっとうする覚悟、どん底から這い上がったり納得するために努力(ときには辛い修行)をして、現状を乗り越えようとする勇気も、やがて手に入れられると思います
それはこの世を活性化していくための、大切な力となり得ると思います。
 「辛いことがあっても悲しいことがあっても、心を込めて生きる時、それはきっといつか報われる」という、いわゆるそれは「昭和脳」と言われるようなことであっても、それを心の中で「はんすう」していくことに依って、人の生き方も変わって来るのではないでしょうか。
そして自分がこの世を去る時、「自分はもうこれ以上頑張る事ができないほど、この世を生きた」という感覚があるとすれば、心は満たされ、「自分の与えられたこの名前で生きた人生」を、納得して去ることが出来るのではないかと思っています。
そして去ったあとに、また新たな世界を見ることが出来るとすれば、心もまたそれまでの人生を爽やかに去ることができ、自分の身近にあった人々や生き物や、場所や事象全てに感謝できるのではないでしょうか。
その感謝こそ、後に残される者たちに対しての優しい想いとなり、また残された者がその人への「心を込めた供養」を志す時、生と死の間に美しい橋が生まれ、彼岸やお盆など以外にも手を伸ばせば互いに繋がり合うことの出来る、「魂の抱擁」が私達に許されるのではないでしょうか。
それは心を穏やかに満たし、そんな世界に暮らす事のできる私達誰もが、幸せというものの本当の姿を知ることが出来る、祝福された者たちなのかも知れないと、私は思います。

 画像は「ニラの花」が咲いた様子です。
 大切な友人から頂いた、ニラの鉢の(香りもそれを使う料理にも、大きな変化を与えるほどの)この植物に、こんな清楚な白い花が咲くことを初めて知り、とても驚きました。
 今日のフィーリングは、JUJUジュジュさんの「また明日」、藤井風氏の「満ちていく」、東儀秀樹氏の「Silent Emotion サイレント エモーション」かな