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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

世界が平和になりますように あなたが幸せでありますように


  人は生きる途上で、迷ったり心が沈んだりするものですが、そのときは様々な解消の仕方があるものです。
歌を歌ったりダンスをしたり、お料理も大きな役割を果たすもので、人それぞれの方法があるに違いありません。
それでもその方法を取り入れ、いつもはそれで良いはずなのに、どうしても心の中の不安が消えない日もあります。
その時もし「自分の信じる何か」があったら、それは強い味方になるでしょう。
思想や信念、正義や常識などの社会通念に親しんでいる脳は、割り切ることが出来たと思っても、心の奥底にある、土壌から何かがじわじわ滲み出して来る「谷地」の中に足を踏み入れるような、得体のしれないものが出現するような、不安を消すことが出来ない気がしますし、それは心の何処かに痛みを伴うものなのかも知れません。
 ところが何か信仰を持っている人々は、その心の暗がりを照らしてくれる様な光が生まれ、自分を苦しめる人をも理解してみようとする心が、生まれてくることがあります。
人が人を理解し得る日々を持つことは、やがて他の誰かを救うかも知れません。
自分の育ててきた「幸福への道」が閉ざされたとして、そのときは言いようのない寂寥感に戸惑うばかりかも知れませんが、時が経っていくうちにその重き日々が自らの人生を開いていくような、知識や感情という経験則の入ったタンスの引き出しを、満たして行くように思えます。
どんな人に出会っても、その人を理解する事のできるような感情、そしてその人を癒やすことの出来る言葉を、その引き出しから取って来ることが出来ます。
人生の本当の目的の一つは、この「人を理解する事のできる容量をいかに広げられるか」、ではないかと思うことがあります。
人を理解しようとする心は常に柔軟で、それによって多くを学ぶことが出来ますし、それが正しいか否かを判断することの出来る能力を磨くことが出来ます。
そして何より、人に対しての怒りが薄れていくことが、最も大きな福徳ではないでしょうか。
「憎しみ」という分厚い氷の上から人を見ると、その人としての人間的なぬくもりが理解できないが故に、敵としてしか認識出来ない「誤解」が生じて来る可能性があります。
それは時折、酷く残念であるのかも知れません。
 しかしあまりに傷ついて憎しみしか湧かないとき、神仏の存在が人にはやはり必要となります。
自分自身のことさえ不可解であることを思い知らされる人生の途上で、どうして良いのか分からないことは、よくあることと思います、
そんな時神仏の存在が心にあったなら、その大切な時間を長い間にわたって、散らさずに済むかも知れません。
人はその怒りの心のゆえに、時折正しき判断が出来ないことがあるからです。
そのため人は神仏を全く受け入れず生きていくのが、実はとても困難なのです。
何故なら、時に人はその心に不可解な苦しみに対しての、痛み止めが必要だからです。
そしてその「痛み止め」は対処療法ではなく、人の苦しみや哀しみの根幹を癒やしていくものだからです。
その「痛み止め」の名は、「心からの祈り」と呼ぶのにふさわしいかと、私は思います。
 今日も読んで頂けましたことに、心よりの感謝を申し上げます。

 画像はバレンタインのオブジェです。
5個あったチョコレートは、3個だけお皿の上に乗せました。
2つは食べてしまったのでした。
ワインはボトルの真っ赤なハ−トが気に入りました。
イタリアのワインでして、昔からイタリアンレッドは大好きですね。
生きる勇気が湧いてきませんか?
真ん中が「ドラゴンフルーツ」です。
マゼンタっていうのかな、あのピンクも好きですね。
日本で食べる「ドラゴンフルーツ」はあまり甘くなく、なにか「甘い蕪」みたいですが、よく熟した本場のものは、忘れることができないくらい美味しいそうですよ。
 今日のフィ−リングは、レミオロメンの「夢の蕾」、ラッセル・ワトソン氏の「Parla Piu Piano パルラ・ピュ・ピアノ (イタリア語で、もっと静かに話してという意味で、そっと愛をささやいて、という邦題があるそうです)」、同じく「can’t Help Folling In Love キャント・ヘルプ・フォ-リング・イン・ラヴ (好きにならずにいられない)」かな