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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

世界が平和になりますように   あなたが幸せでありますように


 「祈る」という事が、あまり馴染みのない言葉である方々も、いらっしゃるかと思います。
何処となく手紙や会話の中で、自然に使われている事も多いですが、実際に「祈る」というアクションには、何処か宗教臭く、危険な方向へ誘われて(いざなわれて)いるように、感じなくもないかという気がします。
 人から聞いて「それは可愛そうだ」とか「気の毒だ」と、立ち止まって心に浮かんで来る想いの基を、振り払うことができずにいる時、その想いが他の人の持つ悲しみや、理不尽な経験から生じる怒りへの深い共感である時、その人はひと言も言わずとも、その心の中に「祈り」は存在していることになります。
その人が相手に対して「かわいそうに」と思ったとすれば、その慈しみのなかに祈りはすでにあります。
しかし相手との関係の故にあつれきが生じて、(あまりないかと思いますが)「ざまあみろ」などと思うこともあるのでしょう。
その場合はその人の心の中に「祈り」ではなく、相手との本当の関係を浮き彫りにする「現実」を、はっきり認識したことになります。
人生はそれほど簡単な事柄ばかりが並んだ、真っ直ぐな道だけでなく、あらゆる方面から伸びて来た、細かったり曲がりくねったりの道が、複雑に交錯していることもあります。
その中で自分の立ち位置からみた周囲の中で、その心はあらゆる他人の感情とのあつれきに、晒されて(さらされて)いると思います。
そんな中で抱いた「強い負の思い」に対して、他人が簡単に甲乙をつけることは、適切でないのかも知れません。
何故なら一人の人間のあるべき姿を描くとしても、その間には言葉では言い尽くせない様な辛いことが、たくさんあったのかも知れません。
そしてその人は今までその中を生き抜いて来たのですから、それは一つの勝利であるという気もします。
人はある時期、勝ち負けに固執し何らかの強い意思なり言葉なりで、自分自身を泥沼から、這い上がらせなくてはならないことがあるからです。
 人生をおしなべて穏やかで心優しい人でいられることは、まず無理なのかも知れません。
それ故時に自分の中に「あるまじき言葉」を見つけても、それは鬱積(うっせき)した暗がりの中にいる自分の心を、次のステージに向かって広げるためのステップとなることも理解できます。
 ところが世の中には、そのままの自分でいられる場所は限られていて、いつか誰かの厳しい言葉を浴びる日があるかも知れません。
そのときが極めて大切なチャンスであることを感じ取る事が出来たなら、その人は「優れた人」と言えるのかと思います。
自分の経験に依って育てて来た人間性の中に、どこか他の人を不快にさせる様な部分があると知った時、その事実を取り込んで自分の中で消化する心は、高い知性がなければ出来ないことでしょう。
自分自身でも不意に気付いた「負の感情から出た言葉」に対して、一つずつ分析してみることは、決して無駄な労さではないと思えます。
それはその人が丸くなっていく過程に於いて、とても大切なことだからです。
「丸くなって行く必要がどこにあるか」、と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、人生を快く遂げるためには、自分自身が何かの苦しみを乗り越えて手に入れた、「力」を持つべきかという気がします。
それはあらゆる他からの言葉、考え方、駆動力などにおいて、例え「自分に対する攻撃」のように感じることがあったとしても、最終的に勝利する「円」の形に「布陣を敷く」事ができるからです。
(ネット検索に依れば、幾何学や物理学に於いて、円形は最も短い周囲長で最大の面積を囲む事ができ、全方向からの圧力や衝撃を均等に分散できるため、効率と耐久性の面で他の形状を圧倒します。)
それは、よく「あの人丸くなって来たね」(体型のことではなく)と評価されることは、「あの人最強になったね」ということなのでしょう。
声を荒げず、冷静な心の流れを敷く事ができたなら、どこから突かれても隙がなく対処出来る、「最強の人」ということです。
そのために一番良い修行は、「人の幸せを祈る」ことであります。
あらゆる色の空の下で、余裕のない日々は当たり前にあることでしょうが、その「あたりまえ」のために冷静を崩す時、人間性の円形も崩れて行きます。
そしてあるとき何かに、「負け」を感じなくてはならない事象が訪れます。
荒れ果てた心と共に、荒れ果てた言葉を撒き散らしてしまうより、「人が幸せであれ、幸多かれ」と心から祈ることは至難の技でもありますが、しかし昔から、「拝む人はやがて拝まれる」という言葉があります。
「拝む」ということは「祈り」そのものなのです。
しかも辛かったり悲しかったりする自分を冷静にみることができ、そのことから導かれる他への暖かい言葉として、自分の心の宝として積み上げながら、暖かな目で他人を見つめた心から発された言葉を使う人は、必ず同じ様な暖かな「祈り」を受けられ、それは天からのまばゆい一筋の光であると、私は思います。
 画像は八甲田山です。
もうお馴染みの風景ですね。
今回は走っている車内から撮ってみましたので、路肩の写り方にちよっとだけ、スピード感があるような気がしますが・・・
 今日のフィ−リングは、Kansas カンサスの「The Absence Of Presence ディ・アブセンス・オヴ・プレゼンス 」、カ−ペンタ−スの「Close To You クロ−ス・トゥ・ユ― 遥かなる影」、Paul Potts ポ−ル・ポッツ氏の「ベスト・オブ・ミ―」かな