苔のむすまで努力します

私が子供の頃、祖母からよく言われたことがありました。
若い頃は時がゆっくり過ぎていくように思うのに、ある一定の年齢を過ぎると、早送りしながら時が流れるものだということです。
ついこの間おせちを食べていたようなのに、もうその年の半分を過ごして、梅雨を迎えるような季節です。
きっとこの先には色々な予定があったとしても、それも2倍速や3倍速のような速さで、年末まで走っていくのでしょうか。
年を重ねるのが速すぎて、大切な思い出もゆっくり思い出していられないような、急かされるような毎日が続いて行くように感じられます。
これは年齢による経験則が関係しているのでしょうか。
若き世代の頃は、この世に生まれて、見るもの感じるもの想うものに対しては、まだそれほどの回数を重ねていない、初々しい視界と感情で判断しています。
それ故ひとつひとつの事象が、自分に定着するのに時間がかかり、それで1日が長く1年が長く、また出会うものや感じることの中に、初めての事象に対する少しばかりの恐れや不安があるため、自分の人生に起こること、また出会う人との交流の中に、決して楽しみばかりでない居心地の悪さなどがあり、「こんなの早く過ぎ去ればいいのに」と潜在的に思っていたりして、それが時の流れを遅く感じさせるのでしょうか。
年をとっていくと、人生はいつもうまくいく事ばかりではなく、人とのつきあいにも、あつれきや不可解な事がたくさんあることを経験していますので、不安に対しての「免疫が出来ている」とでも申しましょうか、嫌な経験に直面したとしても、頭の中で掃き清めてしまうという芸当も、可能になって来る事でしょう。
「とうが立つ」「苔が生える」という表現があり、「とうが立つ」はあまり良い印象はありませんが、人生の風雪によって表面にバリアが張り、傷つきにくくなっていくことでもあります。
例えば毎日入浴時石鹸でこすりまくって、「ああさっぱりした」と思っていると、表皮の角質層がもつ保護システムが壊れ、体内の水分蒸発を防げなかったり、外部刺激が体内に侵入するのを、防げなくなったりするそうです。
人生に「バリア」保つことができなかったとしたら、これに似た人生道中となってしまうのかもしれません。
年をとるとあちらこちらが痛かったり、見た目も変化していきますが、それでもこれらは、努力によって対応できることかと思います。
それ故これをあまり悲観せず、立派な緑の苔をむせるように、この世を去るまで成長していきたいものですね。
苔のある庭園は美しく、人の心を穏やかに整えてくれるように思えます。
だから私達は時折、美しい緑に包まれたくなってくるのでしょう。
画像は十和田湖奥入瀬渓流の千筋の滝てす。
激しい水流でなく穏やかで上品な流れは、ぼんやりしたい日の、心に伴走してくれそうな気がします。
今日のフィ−リングは、秋山公良氏の「ホテル・カリフォルニア」、Sarah Brightman サラ・ブライトマンさんの「kaze No Torimichi 風の通り道」、ジョシュ・グローバン氏の「Granted グランテッド」かな
今回のブログ投稿は、混迷を極めた感があります。
自分の誤ったやり方に依って、少し日常とは違う現象に直面して、パニックが生じていたことから、皆様にも多大なご迷惑ご不快をお掛けすることになり、本当に申し訳ありませんでした。
今週も、どうぞ皆様お元気でいらして下さいませ、そして今日も読んで頂けましたことに、心よりの感謝を申し上げます。

