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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

本当に出逢うべき人とのご縁はどのようにして分かるものでしょう


 何となく自分と合う合わないを感じ取って、長くつきあって行く人や、ご縁も薄くすぐ「見知らぬ人」となっていくことも有り、年を経ていく時、人との出会いで良い気分にもなれば、悪い思い出ともなります。
 
この「出会い」とは何であるのかを考えて見るとき、カルマに依って出会いや別れがあることが、全てなのかなとも思われます。
カルマと言っても、その人物自身が持つカルマがあり、家系のカルマがあり、私たち人間にはそのどれがどの様に人生に作用しているのか、なかなか分からないものです。
 日本では生まれ変わり死に変り、魂は行を重ねて、苦しみから逃れることが出来るように変遷して行けるものと、昔から伝えられて来たようで、その事は時の流れの中で、人々の多くは親しく想われる人との出会いや、又敵対してしまう人との出会いに遭遇するたび、それを感じ取るところがあるものです。
特に心通じるように感じられる人に対しては、何度も出逢いを重ねて来たものかも知れないという「想い」の下で、輪廻転生とカルマの問題も、何となく受け入れられる事かと思われます。
「何でこの人と出逢ったのか」という問いには、「カルマ」という言葉が答えといっても過言ではないでしょう。
 生き続けて人は年を取って行きます。
その中で良い感情や悪い感情も、その人生にとって大切なものであったと気付くこともあるでしょう。
以前にも書きましたが、この世で大切な人生の「課題」として、考えるべきことがあります。
この世で出会う人々には、「袖振り合うも多生の縁」と言われる通り、前世から全く無縁な人はいないということであり、その人にこの世で出会うのは、「何らかを修復する」ことのためであることが、多いということでしょうか。
例えば前世で争いの中に在ったり、非道な苦しみを与えられた関係であった場合など、この人生でも又争い憎しみ合うことはあり得ますが、心から湧き上がる感情のままに、相手に対して対処するなら、また次の新たなカルマを生む火種となります。
私達はこの人生で、何も知らされてはいないような、記憶のない出会いをします。
その人がどんなに大切な人だったのか、又どんな酷い人だったのかも分かりません。
それ故出会った人々とのご縁を大切に思うことは、間違ってはいないと思います。
何故ならその人が大切な人であった場合は、その宝物のような出会いの幸せが、その人の大きな力となりますし、その人がかつて「自分にとって酷い人」であった場合でも、「酷い人」となるべきカルマの下の出会いであったはずですので、そのカルマを昇華する方法を知るチャンスとなります。
 どんな出会いでも全てが順調で、幸せばかりということはほぼ無いはずで、心のカタチに合わないと感じた相手を排斥し勝ちですが、そんな時「自らの心は相手に対してどうであったか」を思い起こすことは、とても大切かと思います。
若い頃絶対我慢できないことでも、年をとっていくと、許せる範囲に幅が出て来るものです。
 流れていく時の中で苦しむ事は辛いことですが、その苦しみに依って、心は多くの場合「研磨」され、それで整っていくべきカタチが出来てきます。
人生において本当に出逢うべき人と、暖かで揺るがない絆を結ぶ事は、その人生において「最も大切な幸せ
」という天からの贈り物です。
その人が誰なのかは知らされてはいませんので、私たちは「自分の心のカタチ」がたったひとつの頼りなのです。
時の流れに磨かれて、在るべき姿に心を形作って行った時、本当に大切な人の、埋まらなかった心のジグソーパズルにぴったり合う「心のピ−ス」を、自分が持っている事を知るはずです。
その時の流れの中で苦しんだ、心の痛みの理由も理解できますし、その時「この人が本当に出逢うべき人であったのだ」と、確信することができるはずだと、私は思います。
 画像は八甲田山の「若いススキ」です。
すすきはいつも、秋の薄茶色のイメージでしたが、真新しく生えたものは薄い桃色が入っていて、「優しく伸びやかな新鮮さ」を感じさせてくれまして、こんなススキは初めて見るものでした。
 今日のフィ−リングは、山下達郎氏の「さよなら夏の日」、JP Cooper ク-パ- 氏の「September Song セプテンバー・ソング」、YORISHIROよりしろ〜神の宿る場の「泡沫ノ夢 うたかたのゆめ」かな
今日も読んで頂けました事に、心よりの感謝を申し上げます。
今週もどうぞお幸せに・・・