人々には語り継いで行くべきことがあります

もうそろそろ1月17日に、近づいて参りました。
あの朝早くテレビをつけると高速道路が倒れていて、「これは何の映像なのか」と驚いたのを覚えています。
あの日は「阪神・淡路大震災」の日でした。
日本では今までにも、様々な自然災害が生じて来ました。
どの災害を想っても、胸の潰れるような悲しみに違いありませんが、「阪神・淡路大震災」では大火が生じて、多くの尊い命が失われたと聞いて居ります。
災害に遭われた方々、それによって心に大きな傷を負った方々、全ての御霊と御心に、長い間私もそうして来たように、今年もまた謹んで哀悼の意をお伝えしたいと思います。
私自身も何度か大地震と呼ばれるものに遭遇して、日本にとって本当に辛いことだと思い知らされました。
先日も地震によって、日常ではない不安と怖れを、改めて味わうことになりました。
世界中を見渡しても、このように辛い災害が生じて家族を失うことになったり、住む家も失ったりした方々がいらして、心落ち着くことのない毎日です。
そしてもう一つの世界不安の基となっている、戦禍や思想的違いから生じる様々な争い事によって、日常の平穏さをも保てなくなっているように思われます。
そして一つ一つの震災は時を経ると傷跡も薄れてくる様になり、人の心の傷に対しても忘れがちになってきます。
私達が平和な日常を生きている時、人々の心の中で、仕事や様々な人同士のあつれきなどのせいで、心がどちらかの端によってしまうという状態を得ることがあります。
「あの人がこう言った」「あの時私はないがしろにされた」など、心の余裕を取り去ってしまうようなことが起こります。
日常の喧騒や人と人とのあつれきで、心は右へ左へと揺れ、「自分は何だったのか」「自分は馬鹿にされているのか」「哀れに思われているのか」など、考えてもしょうがない疑念が襲ってくることでしょう。
その全てが「ある悲しみ」の前に立つと、正位置に戻って来ることがあります。
その「ある悲しみ」とは、人の力ではどうにもならない大自然の力、大自然の猛威がやって来ることにより、人々が傷ついたり命を落としたりする悲しみのことです。
ふだんの心の中で、つぶやいたりわめいたりしていた心情は、その悲しみの前では取るに足らない小さなものだと、理解させられるのかも知れません。
そしてそのような「心」を持っていることは、その魂の中に、自分では気付いていない「真理」のたとえ一端であっても、しっかりと手に握られている証となります。
災害で亡くなった方々や、壊れた家や街並みを想ったときに感じた哀しみは、旅立たれた方々や心を酷く傷つけられた方々との、心の繋がりを得たということだと思います。
この世は地球という「生命体」の上に人々が住んでいるため、そこがいつ急激に変化するかも知れず、そのような哀しみを心に抱く日々は、一個の人間としての、魂のリセットが出来る日でもあるのかと思います。
私達人間は、本当に悲しかったことや辛かったことを、次に産まれくる世代に語り継いで行くべきでしょう。
戦争や抗争だけでなく、自然災害を知らせ、自分より遥かに大きな存在があることを知る人は、心に「祈り」を持つはずだからです。
「これ以上人が怪我をしないように、亡くならないように」、「美しい自然が美しいままでありますように」、「人々が大切にしているものが失われませんように」「人々の心が回復出来ますように」等と祈る心は、大自然にもしっかり伝わると、私は思います。
画像は青森県八戸市「八戸公園」の中のオブジェです。
この辺りは動物舎があって、遊園地のような乗物があり、このようなキリンやゾウのオブジェがあります。
春になると私も時折訪れております。
今日のフィーリングは、Superfly スーパー・フライの「タマシイレボリューション」、Mrs. GREEN APPLE ミセス・グリーン・アップルの「僕のこと」、Milva ミルヴァさんの「Wie Die Mowe Jonathan(ドイツ語で、かもめのジョナサン)」かな

