お線香をあげるのは良いことです
昔から香りが、心の癒やしになってきた思い出があります。
晩春から初夏の頃は特に、その爽やかな風が吹く頃、休日に少しだけ窓を開けてお気に入りのお香を焚いてみると、「何か重いもの」が消えていくような気がして、とても心地よいものです。
子供の頃から、お線香の香りが常に身の回りにあったので、それが心の癒やしにもなっていたのを覚えていますが、皆様の中にも香りが好きな方々は沢山いらっしゃいますが、香りはどうもあまり得意ではないという方々も、いらっしゃるようです。
私にとっては仏具店に行く機会が多かったもので、お線香の様々な変遷に興味がありました。
香炉の中に電気で、さも火がついているように見える、お線香の形をしたものが立っていたり、昔は香りや煙控えめなんて見たことが有りませんでしたが、今では香りや煙がもくもくと立ち昇るお線香を、探すほうが難しいかも知れません。
圧倒的に煙控えめ、香り控えめ、と全て控えめな流れとなっているようですが、それは仕方のないことかも知れません。
モクモクと煙が出るお線香を毎日焚いていると、なんとなく油煙で壁が黒ずんで来ますし、香りが身体に染みつくような気がします。
ティファニーやクロエのオードパルファムは素敵と思っても、素の白檀や伽羅、沈香の香りはいつの日か誰にでもやって来る、異次元への旅路を連想していまいそうな、本能的危機を感じるのか、つい距離を置きたくなりがちかも知れませんね。
たくさんのお線香をあげて、ご先祖や亡くなった方々への哀悼に心を尽くしても、「何だか線香臭いんだよね」と一刀両断にされてしまうことも、多いかと思います。
実はお線香やお香の力は凄いものなのです。
人が霊となった時から、その香りを好むものらしいです。
例えば心満たされず亡くなった場合でも、辛い想いをして亡くなった場合でも、良い香り(大抵は伽羅や白檀、沈香などのお線香の香り)を差し上げると、だんだん心も落ち着かれて来るように感じます。
なぜなら初めはその方が亡くなった時、なんとも言えない寂しさと時には怒りのようなものを感じて、心が落ち着かなくなりますが、何度も香りの供養をしていると、不思議にゆったりした気持ちになってくることが多いからです。
生きている私達が心穏やかになるということは、亡くなった方々の心が静けさを取り戻したということだと思います。
供養の場合はお香だけでなく、お茶やお菓子も差し上げますが、たとえ何もなくても、「良い香り」が供養のはじめの一歩のように思われます。
私達がこの世で生きるときは、人々との心の交流ばかりでなく、何らかの理由で離反しスパークすることもあり得ます。
社会でも仕事場でもサークルでも、そんな状況のときは心も揺れてしまい、穏やかな幸せを感じ辛くなっている時でしょう。
そんな時コーヒーやスイーツを頂いても、つい食べ過ぎて、血糖値や中性脂肪値の上昇を止められなくなりますので、お線香やお香を焚いて、心の中で「私は心穏やかに暮らしたいのです」、「私は幸せで居たいのです」などと口から発しながら、ティータイムをお過ごし下さいませ。
その中にある言霊が、きっと心の上に訪れている雨雲を吹き払い、日差しのある日々を贈って下さるかも知れません。
私の経験ではもし何処かへ行って、ずっしりと身体が重く感じられた方は、お線香が一番効くと思います。
また自分の中に負の感情が生まれている時、人に対して例えば憎しみや嫌悪を持っているようなら、自分自身をコントロールしたほうが、自分にとっても他にとっても、最良の策だと思えます。
こんな時は特に、たとえお線香数本でも、良い変化が訪れる事が多いです。
皆様も香りや煙を敬遠せずに、控えめな香りや煙でも大丈夫ですので、活用なさったら良いかと思います。
また。どうしても「香りも煙も我慢なりません」という方は、今「香りも煙もゼロ」のものもありますので、それを用いたら良いでしょう。
香りも煙も有りませんので、「供養」という観点からは少し効果も違って来るかも知れませんが、お線香をあげようとする方の「心の中の負の感情」を、せめて着けた火で燃やしてしまおうという心根で、ご使用なさることをお勧め致します。
そうしているうちに、香りも煙も気にならなくなる日が、来るかも知れません。
どうぞ皆様、火の取り扱いにはくれぐれも注意なさって、お線香の香りと煙で、幸せを掴んで頂きたいと思います。
今日も読んで頂けましたこと、感謝申し上げます。
画像はクイーン・エリザベス号です。
青森港で再び出逢うことが出来て、奇跡を感じております。
今回はその舳先が、青森に向いておりました。
幸せが、青森にたくさん訪れることでしょう。
今日のフィーリングは、Milet ミレイさんの「Bluer ブルアー」、宇多田ヒカルさんの「海路」、Rod Stewart ロッド・スチュワート氏の「Sailing セイリング」かな