世界が平和になりますように あなたが幸せでありますように

今から30年くらい前、中国に行ったことがあります。
広州、蘇州、南京、上海などに行き、色々な文化的刺激を受けてきました。
まだ中国の方々が、人民服を着ていらした時で、上海の駅で女性の警察官のような方に、道を尋ねたのを覚えています。
その頃初めて女性がお化粧するのを許可されたと、ガイドの方に聞き、厳しく管理された国でありますが、これから文化が、著しく変化して行くのだと予感しました。
寒山寺では入り口に「観音経」が彫刻された石板があり、いつも家であげているお経ですので、何だか嬉しくなりました。
そこでお土産のようなものがたくさん売っていたのですが、その寺の貫首様の書かれた「佛 ほとけ」という毛筆が、深く心を捉えて今だに思い出します。
吉兆の五雲が見えるような美しさと、文字一つにこもった「愛」を感じました。
仏教では執着する事を良しとしませんが、今だにあの文字に心を惹かれています。
それは私たちの世界のみならず、この大宇宙の全てを、その「佛」という文字の中に、観ることが出来るもののように思います。
その「佛」という中にある、私たちが美しいものとは認識し辛い、怒りや哀しみ愛欲などを通って生きて来た者でも、いつの日にかそこに到達出来る可能性をみつけられ、それはどんな過程を経たとしても、とても美しいもののように感じられます。
泥の中に居て美しい花を咲かせる蓮華は、まさに十界の思想の中に生きる者であるなら、深く理解し共感し憧れるものだと思えます。
酷い心の状態から静かで平和な世界に、魂が上がっていく時、それを「至福」と心から呼べるのではないでしょうか。
日常の喧騒の中で生きる私たちもまた、天のもとで人生を修めている者たちでありましょう。
目を覆いたくなるような、戦争や他人への虐待などは、やはり「無理解」の産物のように思われます。
自分の考えで、一方的に相手を推し量る事の中に、やがて反感が生まれ、それが争いの火種となっていくようですので、「自分の国や家族のため」だけを掲げる事は、危険なことかも知れません。
そのために「宗教」は、ものの道理を教えているはずですが、実際に宗教の争いから戦が起こってくるのは、本末転倒なのかと思われます。
髪が黒かったり金色だったり、目の色肌の色が違っていたり、体型が違っていたり、人種が違っていたり、人の外見は色々な違いを呈していますが、心は案外同じ所で笑い、同じ所で泣く者達かと思われます。
平和は幸せを呼び、人々の心を落ち着かせます。
この世を平和に保つためには、「共感力」は不可欠です。
その「共感力」を持つためには、自分の経験を生かす事が出来ます。
やられた事を恨んで、人にもやってやろうという「怨念力」は、国を衰退させ世を滅ぼします。
悔しかったり哀しかったりする思い出は、やがて心を磨き、共感力となって心に残った時、その人をやがて幸せにします。
至難の技ですが、その道のみが世を平和に保ち、人々の安寧を導き、この世を輝かせるのだと、私は思います。
画像は八甲田山の中腹くらいにあった、クルマを停められる広場です。
そこで車を降りて景色を撮ったりしていましたが、少し虹色の雲が写っていました。
それが何だか、心を明るくしてくれたような気がしました。
今日のフィ−リングは One Ok Rockの「The Begining ザ・ビギニング」、平井大氏の「Beautiful ビューティフル」、為岡そのみさんの「蘇州夜曲」かな

