世界が平和になりますように あなたが幸せでありますように

町中や観光地でも、穏やかに景色を見ながら歩く年配のご夫婦に出会う時、その二人の間に感じられる、何とも言えない温かな空気感が、心を穏やかにして感慨深いものを与えて下さるように思います。
それは時の流れに従って紆余曲折を生き抜いて、心の修行を乗り越えた美しい紅葉のような、色彩を見せて下さるからでしょう。
例えば天然真珠はネット検索すると、「貝の中に入った異物を外套膜(がいとうまく)が包み込む事によって、真珠袋が形成され、その内側で真珠層が幾重にも積み重なる事によって出来る」、と書いてありました。
養殖真珠も核を人為的に入れて、同じような過程で真珠が出来て行くのでしょう。
いずれにしても貝にとっては、異物感が心地良いものではないはずで、それを緩和しようと一生懸命外套膜を用いるのでしょう。
この世に磨かれる苦痛苦悩なしに、「美しきもの」として存在するものは、きっと無いかも知れません。
素晴らしい記録を出すアスリートたちや、同じ人間とは思えないような、完成された美を輝かせるモデルや俳優の方々、そして長き苦しみや修行を経て存在する、あらゆる種類の分野における人々の姿があります。
この世で苦悩や辛さを経験しない方は居ないことでしょうが、それを超えて人間関係を、「決別」や「破綻」せずに続いて行かせることは、美しいことのように思えます。
そして何か辛いこと心地良くないことを、超えて初めて本当の心の平安が得られるように思えます。
もちろんこの世にはどうしても超えられない、「耐え難い暴力や嫌がらせ」などのような問題もあると思いますので、そんなときは心をしっかり保ち、その人との繋がりをきっぱり人生から切り取ることも、立派に「超える」ことになるはずです。
そのようなそれぞれのやり方で得た「心の平安」は、人としての美しさを発しながら、その人自身やその人を知っている方々にまで、幸せを与えられるのではないでしょうか。
街で女性(男性)が「自分の好きな人」が他の女性(男性)の姿を褒め讃えたら、恐らく心の中に「ひと陰り」が生じる可能性があります。
それによって機嫌が悪くなり、喧嘩にまで発展することもあるかも知れませんが、それは少し違った方向にエネルギーを使い過ぎている気もします。
それは「ヤキモチ」ということでしょうし、若い頃はそれがあることに依って、心の結びつきを感じられることもあるかも知れません。
しかし何度もそれを続けていくなら、互いの心に、「このことは言わないでおこう」という別の世界を作っているような、「殻」が生まれるかも知れません。
出逢った頃は若い心を持った青い麦でも、時と共に何度も風に吹かれて、やがて金色になっていく、生き物の役に立つ芳醇な麦には、私達の命を繋ぎ心を暖めるような美しさが感じ取れます。
ある時命の存続の危うさを経験した、多くの方々が思うことは、「とにかく無事で隣りにいてくれたら」ということだと思います。
あまり激しく嫉妬したり相手を攻撃せず、静かに心のつながりを深めて行けるように、私達も本を読んだり人生の先輩たちから学び、心の平安を育てていきたいものです。
それがその人生の最後の日を、美しく飾る心の想いを、私達に与えてくれるのではないでしょうか。
人は自分のパートナーと出逢ってから死が分かつまでの間に、心が溶け合うほど相手を許し、受け入れる事ができるなら、それが天からの「課題」を人生最高の宝物として、終えることが出来ると私は思います。
今日も読んで頂けましたことに、心よりの感謝申し上げます。
遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
画像は八甲田山中の道です。
一ヶ月ほど前でしたが、光の入り方が気に入っていましたので、夏の香りが残る思い出として現しました。
今日のフィーリングは、米津玄師氏の「月を見ていた」、Sarah Alainn サラ・オレインさんの「A Time For Us ア・タイム・フォー・アス~永遠の愛」、米津玄師氏の「サンタマリア」かな

