多くの人々の視線を浴びてみるとき

多くの人々は目立たないように、人の視線をなるべく浴びないような、静かな生活を好むかも知れません。
しかしながら人は時折習い事の発表会などで、人前に出なくてはならないことがあるかと思います。
そんなとき緊張と不安の中で、自分が今まで磨いてきた動作や考え方を駆使して、精一杯「自分」を表現する努力が必要になってきます。
そんな中でも多くの場合、後から「ああすれば良かった」、「こうすれば良かった」という塊根の想いが立ち昇り、消え入りたくなることがあるのかも知れません。
それはとてもよく理解できます。
日常の練習のときはさして緊張せず、想いを邪魔されることもないので、かなり納得できる練習もできることでしょうが、「本番に臨む」ときは日常よりも多くの視線と想いと評価を受けるため、「素の自分」を遮られる(さえぎられる)ことも多いのです。
視線に込められた想いも十人十色であり、おおむね良好な優しさを与えて下さる視線と、何処かに反感に近いものを持った視線があるかも知れません。
その人を評定するような厳しい視線もあると思います。
そんな、それぞれ異質な視線たちが一斉に表現者に注がれ、その表現者はそれに押しつぶされないように出来れば良いのですが、その「押し潰れ方の」良し悪しは出来栄えの良し悪しとなるのでしょう。
それは人生において、とても貴重な体験のように思われます。
何故ならそれは、結局自分の内面を見つめるのに適した場だからであり、滅多にあることでは無いからです。
人の視線や想いの光線を浴びて、時には心に痛みを感じることも、自分を制御出来ないくらいの不安に呑み込まれ、緊張してしまうこともあるでしょう。
そのため出来ればなるべく、「多くの人前」での経験を積むことは、大切なことかと思えます。
表現を始めるときのプレッシャーは、結局その場の緊張感ですが、これは良しにつけ悪しにつけ、「人と人との心の攻防」であるのかも知れません。
何度も人前に出ていくなら「場馴れ」を果たし、人の様々な視線や想いから来る緊張感を、超えていけるようになると思うからです。
「表現する場合」に何かに遮られて(さえぎられて)、自分の大切な「伝言」を観て下さっている人々に伝えられないほど、残念なことは無いと思います。
何かに呑み込まれて、自分の実力を出せないときは苦しいはずです。
何度も人前に出て、「人を人とも思わない」という感覚というのでは決してなく、「自分の真心を人に伝える」ことが上手になってくると、観衆からの共感を頂けて、それはその人を幸せにし、その人の「表現法」を理解する人々にも、幸せを与えられる事になるはずです。
そのために人前に出るときは、自分をできるだけ限界に近いくらい磨き、鍛える事が必要となってくるでしょう。
「自信」は、日々の苦しく面倒な鍛錬からしか、生まれないものだからです。
鍛錬の結果から得た自分なりの「自信」を、ある種の武器として自分を表現し得たときは、本当の喜びを勝ち取ることが出来るのだと、私は思います。
今日も読んで頂けましたこと、心よりの感謝を申し上げます。
皆様にとって、心満たされるような一週間でありますように、お祈りしております。
画像は少し前の、家の紅葉(もみじ)の様子です。
とても綺麗な赤が印象的でした。
紅葉の代表的な花言葉は、「大切な思い出」、「美しい変化」だとネットに書いてありました。
あの美しい赤の中に、それにふさわしい意味が込められているのですね。
今日のフィーリングは、FUNKY MONKEY BABY’S ファンキー・モンキー・ベイビーズの「涙」、Perfume パフュームの「レーザービーム」、森山直太朗氏の「生きとし生ける物へ」かな
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