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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

家庭内の親和が 心穏やかな人生の始まりです

 大人になると、「自分は子供の頃はどのように感じていたか」の詳細を、忘れてしまうことが多いと感じています。

子供の頃色々なことで悩んだ事が、今となってみれば、「本当にそこまで考える必要もなかった」とか、「そのように受け取るのは、人間として違うかな」と思うことも多いと感じます。

子どもは少ない人生経験や、それに依って包括できる容量が小さいことが有るかも知れませんが、小さな身体で、その時点での精一杯の理解と判断を、導き出そうとするかと思います。

 かなり前から、子どもの自死に関する事柄が、多く問題となってきている日々に当たり、私自身思うこともあります。

いろいろな方々にお会いして私の中に残った事柄から、その家族の因縁を多く背負って生まれてくる、子どもたちがいると感じています。

他の兄弟は何でもそれなりに上手く行って来たのに、「その子だけは何をやってもうまく行かない」ということや、「親と子の関係に心温まる交流がない」という場合など、まさにそれに当たるのではないかと思います。

多くを背負っている子どもたちは、大人が想像できる範囲を逸脱するような、心の苦難を味わっていると思われます。

多くを背負う宿命の人は、例えば親や兄弟を守ろうとして生まれてくる方もあるようです。

それでも家族の誰一人として感謝することもなく、それどころか厄介者の様に取り扱われることもありそうです。

その方が多くの苦難を受けるのは、その家のカルマを背負っている部分が多いと思いますので、それでその人のお陰で、家族に当たるカルマも軽減される事もあります。

それなのに自分が感じていることと、それに依ってとった行動が、多くの大人に認められないという事を経験し続けることは、心の成長の過程で、何処か大切なところに影を落とす結果となるかと思います。

そんな事が続くと、家族に反発し始めるのも仕方ないことかも知れません。

心の葛藤や苦しみを説明しきれず、その結果人に理解されないことを思い知るのは、大きな心の痛みであり、そのように生きていくことは哀しいことです。

この様に 「その子」が生まれてくるとき、何かを背負って生きる宿命にある場合、長きに渡って「その子」の人生につきまとう「隔絶感(他者や社会とのつながりを見いだせない孤独な心境)」と共に歩まなければならないかと思います。

そのようなときでも、親と子の間に神仏の存在がある場合は、何処からともなく「救い」の事象が生じると思います。

例えば親御様が、神社や仏閣に月一度のご挨拶をするなど、心を平坦にして「子との親和」を熱望するなら、何処かに「救いの手」が現れるはずだと思います。

それは家のカルマを背負った子の苦しみを軽減できる行為でもあります。

大きなカルマを持つ家系であったとしても、その熱意が本当にある時、神や仏にこうべを垂れる事によって、「始まっていく良きもの」が必ずあります。

それは「苦しみや哀しみの理解」であり、それが理解できるための、自らの家系の歴史を知ることが大切かも知れません。

そういった事に心を開くことは、人間としてこの世で心穏やかに暮らせるための、大切な道のりを得る第一歩だと思うからです。

 画像は、八甲田山の「緑たちと木漏れ日の道」です。

差し込んできた木漏れ日が心の中まで照らして、本当に幸せな気持ちになりました。

 今日のフィーリングは、岡崎体育氏の「ともだちのともだち」、Lambert、Hendricks &Ross ! ランバート、ヘンドリックス&ロス!の「Moanin モーニン(唸り声)」、米津玄師氏の「パプリカ」かな