貧しい事には どんな生きる意味があるのでしょうか

この地球上の国に於ける社会の一員として、生きる上で、お金の問題ほど色々な場面を使って、人を苦しめるものはないのかも知れません。
お金がなければ、日常生活の中に何か釈然としない、精神的不安定が生じて来るとき、人は本来の、心穏やかな自分を見失ってしまうかも知れません。
お金がないことで、自分に必要なものも手に入れられず、病になっても病院へ行けず、最も辛いのは日々の食事に事欠くようなことがあったとき、法治国家に於いて福祉がしっかりしていたなら、命を繋ぐことは出来ますが、助けを求める勇気にも、また大きな決断力を必要とします。
「貧すれば鈍する」という言葉がありますが、「貧(ひん)したとき、言動や知恵の働きが悪くなる」というような事らしいです。
例えばそれは、「徳のないものは、行き詰まると悪事に走る」ということになる可能性があり、社会の中で更に生き辛くなってしまいます。
では本当の「徳」とはいったい何でしょうか。
それは自分の精神における、心地よい場所を見つける為に、辛い環境から学び取った「境地」が、人や社会の役にたったり助けることができたりする、「心の力」ではないでしょうか。
またそれは単に、お財布にお金が入っていないということだけでなく、時間に追われて心に余裕の無いとき、言葉や態度が乱雑になったりすることも、同次元の話のように思えます。
精神的物質的のどちらからでも、「貧(ひん)している」という感覚があるとき、他の人の自分に対する気持ちや態度に依って、社会の、自分に対する想いを受けてしまうのは、むしろ病気や様々な人間関係よりも、ずっと自分を磨ける「材」となります。
かつて先人たちが、「貧乏は薬に匹敵する」と言い伝えて来たはずでした。
何不自由なくお財布から、目的のものを手に入れる為のお金を引き出せる日々は、その事にほとんど気付かなくなってしまいます。
冷静になって考えると、ただ苦しんだだけでなく、それとどのように向き合って、様々な負の感情をどの様に消化したかは、大切な経験に他なりません。
その辛い社会的段差は、自分にとってどのような感情を起こしどんなに苦しんだかを、淡々と、あるいは激しく心に蓄積して行くことは、実はとても大切なことだと思われます。
それはその人生における、立派な図書室を持っているということだからです。
人生に於いて直面した「辛い何か」に対して、どのようにしてそれを乗り切ってゆくのかは、結局心の問題で、それを解くための大きなヒントをくれる大切な「蔵書」が、自分自身の中にあるということでしょう。
その「蔵書」が「辛い経験」という難儀を超えるための、手助けしてくれるだけでなく、「自分の心そのもの」となったとき、激しい恨みやそれによってすさんだ悲しみの心が、時とともに過ぎ去っていくことも多いかと思います。
人生は幸せになることを諦めない人に、開かれていくように思いますが、その幸せが何を基準にするのかは、人それぞれであります。
「自分自身が一番大切だ」、「自分は犠牲になっても助けたい人がいる」等、どのように考えるかはそれぞれの生き方の問題でありますので、他人が甲乙つける問題でないと思いますが、ただひとつ、その心が心底納得ができる道こそが、その人を本当に幸せにするのです。
人はもちろん迷う事も沢山ありますが、この世には友がいたり、素晴らしい音楽や絵画、お酒がありスイ−ツもあります、
その中にも、聖なる魂が存在していることがあります。
人が心をふるわせる瞬間、感動できて納得する瞬間には、人の心の中に「天の声」が存在しているものです。
そしてその様な「天の声」を理解できるのは、ただ辛く苦しい社会の格差や段差を、傷を負いながらも自ら勝ち取った、心の豊かさで埋めることができた方々であると、私は思います。
今日も読んで頂けました事に、深く感謝申し上げます。
終わらない戦争、西側と東側のあつれき、災害などの不安定な毎日は、私達の心を蝕んで(むしばんで)行くような、疲労感でいっぱいになります。
お気に入りのお茶などで、心の安定をはかって下さいませ。
良い事が沢山あります様に・・・
画像は八甲田山のいつも通る道ですが、緑がまだそれほど深い色合いではなく、少し若緑な感じがしていました。
これから段々緑が深くなっていくのでしょうね。
今日のフィ−リングは、Sukima Switch スキマ・スィッチの「星のうつわ」、Tracy Chapman トレ−シ−・チャップマンさんの「Fast Car ファ―スト・カ−」、King Gnu キング・ヌ−の「三文小説 さんもんしょうせつ」かな

