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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

悲しい歴史は何のためにあるのでしょうか


 この世で生きるどんな方にでもある、「悲しい記憶」をどのように処理して来たかは、その人の背景、書物などからや先哲や友人などのアドバイスに依ることも、多いかと思います。
時の流れによって、その事は殆どが忘れ去られることもあるでしょう。
そして人生において楽しかったり嬉しかったりの記憶は、生涯の「宝もの」になり得るほど、その人の不調な心を治癒させる日もあるはずです。
 しかし辛い記憶でも、長い時を経た後思い出されるなら、それは人生を生きていくための大切な財産となり得ます。
「その時人はどのように考えるのか」、又「他人はどんな態度をとるものなのか」、そして「その時自分はどう感じたのか」がとても大切な記憶となります。
何故ならその記憶こそ、辛い中であっても自分がどのように人に対する考えを持つべきか、またどのような態度をとるべきなのかを、自分に学ばせているからです。
その時起こった出来事が、自分のとるべき行動や言動を創っていくとき、それはその人の「徳」を積むための財産となっているはずだからです。
 国家間でもそのような事があると思います。
自国の歴史の中で、どうにもならないほどの哀しみや辛い思い、虐げられた日々をしっかり心に留めておくとき、それは「こんな酷いことをされた」とか「こんな不条理を押し付けられた」と怒りに満ちることも、よく理解できます。
我が国の中にも不条理の歴史は多くあって、家名が断絶したり、一族が皆殺しの目にあったなど、かつての栄光の片鱗もない日々を、それでもただ「怨み」として記憶するのは生きる上でとても重たくて、そんな思いと共存しながらときを過ごすのは、きっと言動や行動にも暗い影を落とすことでしょう。
 国家間の問題でも、「不倶戴天の敵(ふぐたいてんのてき)」という立場が存在することは、世界中に見られます。
侵略や戦争、力ある国が弱小国を虐げようとする歴史は、現代でもそれを紡いでいるのを見ることが出来るでしょう。
歴史の故のわだかまりや憎しみが、互いの民族を争いに駆り立てるなら、とても悲しすぎる「時の使い方」をして来た証拠でしょう。
 人と人が出会って長い会話を何度もしていくと、どんな国の人でもその人の中に、心温まるものや深く理解できるような美しい思いが、現れてくることがあります。
そしてかつて、対する人の祖国と戦争をしたのであれば、「本当にこんな素敵な人々の国と、戦ってしまったのだろうか」と残念に思うような驚きが多いと思います。
「残念な指導者」がその国で力を持ってしまったとき、国民は恐るべき扱いを受け続けるような、時の流れは止めたいものです。
虐げられたりした苦しみの歴史を忘れず、自国の中で「あんな事があって、こんな目にあった」と「恨み節」をうたうのではなく、人類共通の「負の遺産」として博物館などに冷静に展示し、国家間の争いや無理解がどのような経路で進行していき、今に至るようになったのかを、互いに省みることが不可欠であると思われます。
そのために「残念な指導者」をどの国も決して選んではならないのです。
かつて目を覆い、耳を塞ぎたくなるような大虐殺をやってのけた指導者や、巧妙な策で他国を引きずり回そうとした指導者がいるのであれば、その人が何故「選出」されるに至ったかをよく学ぶ機会を持つべきでしょう。
「船頭多くして船山に上る」ので、誰か「この人こそ」と思う指導者を私達は選ぶのでしょう。
自分たちの未来だけでなく、自分の愛する子や孫が成長して、安心して暮らして行ける社会を整えたいのは、多くの人の願いであるはずです。
ここにもまた神仏への祈りが、最終的に必要だと私は思います。
何故ならどんな人がどのように調べても、一個の人間の心の襞(ひだ)まで検分することは出来ませんし、その人間がやがてどのように変貌するか分からないからです。
より良い結末を祈ると言う意味を含みながら、「人事を尽くして天命をまつ」心持ちが、国家の行方を最終的に照らすのだと思えます。

 画像は雨上がりの八甲田山です。
道路が雨に濡れていて、木々の間から入ってくる光が、「緑色」を普段と違うものにしていました。
 今日のフィーリングは、KIRA(キラ)さんの「星が輝く夜」、サザンオールスターズの「蛍」、STING スティングの「Rushing Water ラッシング・ウォーター」かな