人々には多様性を受け入れる努力も必要です
戦前、戦中、そして戦後暫くの間、日本の日常の中では、女性が学校卒業後すぐ結婚して、家庭の中で「縁の下の力持ち」的な存在を、ある種の美徳のように捉えられてきたように思います。
女性が社会に進出するような環境も、一般的国民の考え方の壁に邪魔され、相当な苦労をしたものと思われます。
高校生の頃、大切な友人から贈られた本(日本初の女医となった、荻野吟子氏の生涯を描いた、渡辺淳一氏の「花埋み」)を読んで、女性たちが「社会での権利」を獲得するために、本当に辛いことばかりあったのだと考えさせられました。
大きな骨太い手で何度も殴られ張り倒されても、「自由への渇望」を消すことが出来ない、この世を生きた女たちは、世界でも同じような奴隷解放運動や植民地支配からの解放運動を見ても、屈辱と湧き上がる怒りがその原動力となったのだと、用意に推測されます。
恐らくどの国にも、そういった歴史はあったことでしょう。
宗教的にもキリスト教、イスラム教、仏教の中にも、柔らかい言葉で書かれた「女性のたしなみ」などの中に、「女は男より先に出てはならない」的な、暗黙の境界線をめぐらしていたようですが、それにも大きな「人類存続のための理由」があるのは理解できます。
「女性に教育はいらない」というような言葉の中にあるものは、女性が教育を受けると、この世の本当の格差が不条理であることに気づき、学問に依ってそれをくつがえそうとする能力を持つと、自分の世界を大切にし始め「子ども」を産まなくなるという「人類存続の危機」を、招くことへの恐れなのかと思います。
確かに現代でも、男性も女性も自分の考えで生きることが当たり前になった世の中では、出生率も下がり始めていて、やがて人類は滅びゆく事になるのかと、懸念してしまうような日々です。
それならやはり下手に学問を開放すべきでなかったのかというと、それはやはり人間として、許されない考え方だとしか思えません。
男性も女性も同じ人間であり、同じ時代のこの世を生きている「同志」です。
この世で学問を学ぶことは、真実を得ていくための道のりであり、本来それを制限する権利はないはずです。
ほんの少し前まで、女より男のほうが社会で高い地位につくべきだと考えていた人々も、多かったのかも知れませんが、日本においては、あの幾つかの震災時に人間性を失わず美しい文化を持った国だと、世界から評価されたこの国を作ってきたのは、実は「上下関係を重んじたり、努力や我慢を美徳とするような、「昭和脳 しょうわのう」と言われる人々の生き方だったと思います。
古きを求め温め、新しきを知る「温故知新」の考え方は、大切にしなければならないと思います。
一方昔からの生き方を「正しきもの」と考える人々にとって、新しい考え方や振る舞いという文化を生きる人々に対して、そのような「多様性」をゆっくりでも受け入れていく、心の柔らかさが育つために何かが必要だと思えます。
そこにも又、神仏の教えが登場することが必要かと思われます。
この世にある昔からの宗教的書物の中に、その答えがあるからです。
人が人を理解することにも、本当に人を愛するとはどんなことなのかを知るうえでも、そのような書物の中には明確な答えがあるからです。
自分と違う文化や人の振る舞いが理解できない場合、批判や酷い場合には暴力的な行いをする人がありますが、その判断の中に、「自尊心」という「硬い殻」が潜んでいるかも知れません。
「自分の考えは正しく、他人が間違って居るから思い知らせるべきだ」、と思う傲慢な考え方のその中に、「鋭利な刃物」が潜んでいることはないでしょうか。
人にはそれぞれの環境の中で、性格や考え方、そしてその振る舞いが育成されていく「自分自身の宇宙」が存在します。
しかしながらどんなに世の中の時間が流れても、「天道」というものがあり、「真理」ということのもとにおいて、人々は生かされ淘汰されて来たと思えます。
「好き嫌い」はあって良いと思います.
しかし人には、自分と違う生き方考え方をこの世で活かすための、「度量」を大きくするために、1日に一度は心を平らかにする機会が必要でしょう。
他人も一緒にこの世を形成していることに気づき、本当に人を愛することを深く学ぼうとする心を、養うことに反対する「天道」は無いと思います。
そして「本当の愛」を知るための心の育成は、子どもの出生率を上げるための道でもあると、私は思います。
画像は、先日つがる市の神社にお参りに行った時に見た、どこまでも広がる黄金色の田んぼの稲が、とても美しかった様子です。
雲が生き物のように感じました。
今日のフィーリングは、Perfume パフュームの「Dream Fighter ドリーム・ファイター」、Blue Oyster Cult ブルー・オイスター・カルトの「Asutoronomy アストロノミー (天文学)(Live at Columbus Municipal Auditorium,Colombus,GA-April 1978 ライヴ・アット・コロンブス ミュージパル・オーディトリアム、コロンブス、GAー1978年)」、JUJU Duet with 久保田利伸の 「English Man in New York イングリッシュマン・イン・ニューヨーク(Duet with 久保田利伸」かな